お伊勢さん125社めぐり2008

外宮めぐり(18社)
月夜見宮
つきよみのみや
祭神は天照大御神の御弟神。皇大神宮別宮の月読宮と御同神をおまつりするが、月夜見宮と書いて区別している。もとは摂社であったが、承元4年(1210)に宮号宣下があり、月夜見宮と称するようになった。
高河原神社
たかがわらじんじゃ
祭神は宮川の高河原といわれた土地の開拓の守護神。月夜見宮の宮域内で同宮右後ろ(東北)に鎮座されている。
度会国御神社
わたらいくにみじんじゃ
祭神は伊勢国造・度会神主の祖。参道から脇道に入いり、200mほど進む老杉、巨楠の森厳な自然林のなかにあり、奥の神社は大津神社である。
大津神社
おおつじんじゃ
祭神は五十鈴川河口の守護神。港口の潮の神であることが、社名からうかがえる。手前の神社は度会国御神社である。
入林禁止 上御井神社
かみのみいのじんじゃ
祭神は神宮の御料水の守護神。社殿はなく御井覆屋が造り立てられている。年の初めの若水をはじめ、毎朝神職が一桶ずつ奉汲し、神饌御料に供している。この御井を忍穂井(おしほい)と称するが、古伝によると天孫降臨の際、高天原天忍穂の長井の水を、丹後国比治の真奈井を経て、豊受大神宮ご鎮座の折、この御井に移し奉ったものとされる。
立入禁止 御酒殿
みさかどの
祭神は御酒殿の守護神。古くは諸神にお供えする神酒を醸造する所であった。現在は三節祭にお供えする神酒を一時的に納め、これを奉下して神前にお供えする。手前は忌火屋殿である。一般には参拝できないが北参道から垣間見れる
御正宮
(外宮)
豊受大神宮
とようけだいじんぐう
祭神は天照大御神の大御饌(お食物・お食事)の守護神で、全ての産業の守り神である豊受大御神。天照大御神のお告げによって、丹波の国(京都府下・天橋立付近)からお迎えしてご鎮座された。内宮ご鎮座の481年後である。「外宮(げくう)」とも申し上げ、皇大神宮の内つ宮(うちつみや)に対して外つ宮(とつみや)の意味である。
土宮
つちのみや
祭神は豊受大神宮宮域の地主神であり、宮川の氾濫を治める堤防守護の神として尊ばれる大土御祖神。大治3年(1128)特に宮号宣下があり、土宮と称するようになった。宮域内で、東面しているお宮は土宮のみである。
下御井神社
しものみいのじんじゃ
祭神は神宮の御料水の守護神。土宮の手前奥(南方)にあり、社殿はなく御井覆屋が造り立てられている。上御井の御水を奉汲できない折は、この御井の御水を御料水に供している。北隣の敷地は遷宮諸祭のうち初めて斎行される山口祭の祭場である。
10 多賀宮
たかのみや
ご神霊のはたらきから、荒御魂は積極的・進取的・活動的なご神霊である。各祭典とも正宮に続いて奉仕され、奉幣の儀には天皇陛下のお使いの勅使が参向される。明治以前は高宮とも書かれているが、丘の上の高いところにお鎮まりになっているからである。
11 風宮
かぜのみや
祭神は風の神。皇大神宮別宮の風日祈宮と御同神で、農業に深い関係のある風と雨の順調をお祈りする。元寇の国難に際して、神風の御神威により正応6年(1293)宮号宣下がされ、風宮と称するようになった。
12 四至神
みやのめぐりのかみ
大宮の境界を守護する神。表参道から見て右手(東南)、石畳の上に石神としてまつられる。石畳の中央には一本の榊が植えられている。四至とは宮の四方の意味である。
13 度会大国玉比賣神社
わたらいおおくにたま
ひめじんじゃ
祭神は度会地方の地主神二柱、大国玉命と弥豆佐佐良比賣命。林生した老杉が覆う境域である。参道左手斜め上の神社は伊我理神社である
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伊我理神社
いがりじんじゃ
井中神社
いなかじんじゃ
祭神は外宮御料田の井泉の神、伊我利比女命。末社の井中神社(いなかじんじゃ)祭神は井中神(いなかのかみ)がご同座されている。古く外宮御料田の耕種始めの神事が行われ、猪害を防ぐ意味のお祭りであり、猪狩(いかり)がその名の由来といわれている。参道右手斜め上の神社は度会大国玉比賣神社である。かつては外宮の御神田の井泉の神として仰がれたと伝わる。
16 山末神社
やまずえじんじゃ
祭神は山末にご鎮座する御田口の泉の神、大山津姫命。この神社の前が豊宮崎(豊受大神宮の宮の崎という意味から)の御田と呼ばれる、外宮御料田のあったところである。
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田上大水神社
たのえおおみずじんじゃ
田上大水御前神社
たのえおおみずみまえ
じんじゃ
祭神は度会神主四門の祖・小事神主(おごとかんぬし)。ご鎮座の丘を地元では「丸山さん」とか車塚とも呼んでいる。御垣内に摂社の田上大水御前神社が東面してご鎮座されている。祭神は田上大水神社祭神の小事神主の女(むすめ)で宮子(みやこ)。田上大水神社が御垣内の正面にご鎮座されている
内宮めぐり(20社)
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津長神社
つながじんじゃ
新川神社
にいかわじんじゃ
石井神社
いわいじんじゃ
その昔、五十鈴川の船着き場があり、津長原といわれていた。末社の新川神社(にいかわじんじゃ)祭神は新川比賣命(にいかわひめのみこと)と石井神社(いわいじんじゃ)祭神は高水上命(たかみなかみのみこと)がご同座されている。 祭神は水の神.。川の神として伝えられ、倭姫命が定められた。高水上命(たかみなかみのみこと) 石清水の守り神と伝えられる。
22 饗土橋姫神社
あえどはしひめじんじゃ
祭神は宇治橋守護の神。饗土とは、内宮の宮域四方の境に悪しきものが入ってこないよう、防ぎお祭りする所のことである。宇治橋渡始式の折には、この神社の前で祭典が斎行される。参拝を終えて振り返えると、宇治橋が正面に見える。
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大水神社
おおみずじんじゃ
川相神社
かわあいじんじゃ
熊淵神社
くまぶちじんじゃ
祭神は五十鈴川辺の山の神。楠の大樹が社殿をおおい、森厳な社域である。末社の川相神社(かわあいじんじゃ)祭神は細川水神(ほそかわのみずのかみ)と熊淵神社(くまぶちじんじゃ)祭神は多支大刀自神(たきおおとじのかみ)がご同座されている。川の神として伝えられ、倭姫命が定められた。多支大刀自神(たきおおとじのかみ) 石清水の守り神と伝えられる。
26 滝祭神
たきまつりのかみ
五十鈴川守護の水の神。古来から社殿のない石神としてまつられ、別宮に準じて祭典が奉仕される特殊な神である。近くには、式年遷宮の折に御装束神宝をはじめ奉仕する神職を祓い清める川原祓所(かわらのはらいしょ)がある。
27 風日祈宮
かざひのみのみや
祭神は風の神。豊受大神宮別宮の風宮と御同神である。風日祈は、農作物の成長に風雨の災害のないようお祈りする「風日祈の神事」に由来する。元寇撃退となった、伊勢の神風の話しが伝えられている。近くには、遷宮諸祭の一つ御船代祭(みふなしろさい)が斎行される宮山祭場がある。
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皇大神宮
御正宮

(内宮)
皇大神宮
こうたいじんぐう
興玉神
おきたまのかみ

宮比神
みやびのかみ
屋乃波比伎神
やのはひきのかみ
ご神体は三種の神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)で皇位を示す最高の宝物。内宮(ないくう)とも申し上げる。大宮所の地主神。正宮の北側、御垣内西北隅の石畳に石神として西向きにご鎮座される。同じ石畳に宮比神がご鎮座。大宮所守護の神。正宮の北側、御垣内西北隅の石畳に石神として北向きにご鎮座される。同じ石畳に興玉神がご鎮座。神庭守護の神。石畳を構え石神としてまつられる。正宮石階の東側に南向きにご鎮座される。
32 御稲御倉神
みしねのみくら
祭神は御稲御倉守護の神。神田から収穫した抜穂(ぬいぼ)の御稲が納められ、祭典に際し大御饌(おおみけ)として神前にお供えされる。
33 荒祭宮
あらまつりのみや
ご神霊のはたらきから和御魂(にぎみたま)と荒御魂に分け、荒御魂は積極的・進取的・活動的なご神霊である。各祭典とも正宮に続いて奉仕され、奉幣の儀には天皇陛下のお使いの勅使が参向される。
34 由貴御倉
ゆきのみくら
祭神は由貴御倉の守護神。由貴とは、清浄でけがれのないという意味である。古くは御饌祭(みけさい)のお供えものや果物などを納めておく倉であった。向かって左は御酒殿である。
35 御酒殿神
みさかどののかみ
祭神は御酒殿の守護神。古くは諸神にお供えする神酒を醸造する所であった。現在は三節祭にお供えする神酒を一時納め、これを奉下して神前にお供えする。向かって右は由貴御倉である。
36 四至神
みやのめぐりのかみ
大宮の境界を守護する神。五丈殿の右手(東)、石畳の上に石神としてまつられる。四至とは宮の四方の意味である。
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子安神社
こやすじんじゃ
大山祗神社
おおやまつみじんじゃ
子授け、安産、厄除けの神として一般の信仰があつい。祭神の木華開耶姫神(このはなさくやひめのかみ)が、猛火のうちに御身無事に、三柱の御子をお生みになられた霊異を仰いだものと思われる。奥の神社は大山祗神社である。祭神は神路山の入り口にます山の守り神、大山祗神(おおやまつみのかみ)。古くはこの社の前で式年遷宮の初祭である山口祭が奉仕されていた。手前の神社は子安神社である。
滝原めぐり(6社)
39 多岐原神社
たきはらじんじゃ
祭神は倭姫命が宮川を渡るのをお助けした土地の神、真奈胡神。地元では祭神から「真奈胡さん(まなこさん)」といい、信仰のあついことで知られる。社頭には常夜燈2基があり、紀州藩が享保甲辰(1724)に建てた禁殺生石がある。宮川本流の右岸にあって、社域は山水の美を兼ねそなえた地である。
40 瀧原宮
たきはらのみや
祭神は天照大御神御魂で、古くから皇大神宮の遙宮(とおのみや)と称され尊ばれている。倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大御神の永遠のご鎮座を求めて大和からご遷幸されたとき、この地に宮殿を建てられた。その後、さらによい宮所を求めてご巡幸になり、ついに五十鈴川の川上の現在の大宮所にご鎮座になったといわれる。先づ瀧原宮に参拝する。
41 瀧原竝宮
たきはらのならびの
みや
祭神は瀧原宮と御同神(天照大御神御魂・あまてらすおおみかみのみたま)である。向かって右の瀧原宮の次に参拝する。両宮共に天照大御神御魂をおまつりし、二宮並んで奉斎されているのは、皇大神宮と荒祭宮のご関係と同様に考えられる。古殿地との間に御船倉(みふなくら・古い御船代が納められている)が静かに建っている。
42 若宮神社
わかみやじんじゃ
祭神は瀧原の地に縁のある水の神といわれる、若宮神。瀧原宮の向かって右に南面(奥)してご鎮座されている。この神社を参拝してから手前の長由介神社にお参りする。
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長由介神社
ながゆけじんじゃ
川島神社
かわしまじんじゃ
祭神は瀧原宮の御饌(みけ・食物)の神といわれる、長由介神。長由介が長生きと同じで、長生きの神であるとの民間信仰があった。瀧原宮の向かって右に西面(手前)してご鎮座されている。同宮所管社の川島神社(かわしまじんじゃ)祭神は川島神(かわしまのかみ)がご同座されている。奥(南面)の若宮神社に続いて参拝する。
鳥羽・磯部めぐり(7社)
45 佐美長神社
さみながじんじゃ
祭神は五穀豊穣の神、大歳神。古くから穂落社(ほおとしのやしろ)ともいわれている。祭神が真名鶴となり、稲穂を運び落としたのが千田(ちだ・稲を生ずる地)であると伝えられている。
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佐美長御前神社四社
さみながみまえじんじゃ
社地には小社殿ながら、伊雑宮所管社の佐美長御前神社四社、祭神は佐美長御前神(さみながのみまえのかみ)がご鎮座されている。
50 伊雑宮
いざわのみや
祭神は天照大御神御魂で、古くから皇大神宮の遙宮(とおのみや)と称され尊ばれている、磯部(いそべ)の大神宮さんと呼ばれ、志摩一円の漁業関係者の信仰があつく、特に漁師や海女さんは「磯守(海幸木守)」を受け、身につけて海に入るのが風習となっている。隣接する神田で行われる御田植祭は、日本三大御田植祭(伊雑宮・香取神宮・住吉大社)として有名である。
51 赤崎神社
あかさきじんじゃ
祭神は鳥羽湾内の海岸から豊受大神宮に奉納する御贄(みにえ)の海産物採取の守り神、荒崎姫命。地元の人々が行う赤崎祭は「ゆかたまつり」とも呼ばれ、ゆかたがけの人々が家内安全・厄除祈願のため多数参拝される。
斎宮めぐり(18社)
52 神服織機殿神社
かんはとりはたどの
じんじゃ
祭神は神御衣祭(5月と10月の14日)に供進される和妙(にぎたえ・絹布)を奉職する御機殿(八尋殿・向かって右の萱葺の建物)の鎮守の神、神服織機殿鎮守神。神宮神職が参向(14日間)し、地元の者が古い伝統のままに奉職を奉仕している。下機殿(しもはたどの)とも呼ばれている。
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神服織機殿神社
末社八所

かんはとりはたどの
じんじゃたのえみまえ
じんじゃ
社地には小社殿ながら、所管社の神服織機殿神社末社八所、祭神は神服織機殿鎮守御前神(かんはとりはたどののまもりのみまえのかみ)がご鎮座されている。
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61 神麻続機殿神社
かんおみはたどの
じんじゃ
祭神は神御衣祭(5月と10月の14日)に供進される和妙(にぎたえ・絹布)を奉職する御機殿(八尋殿・向かって右の萱葺の建物)の鎮守の神、神服織機殿鎮守神。神宮神職が参向(14日間)し、地元の者が古い伝統のままに奉職を奉仕している。下機殿(しもはたどの)とも呼ばれている。
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神麻続機殿神社
末社八所

かんおみはたどの
じんじゃむみのじんじゃ
社地には小社殿ながら、所管社の神服織機殿神社末社八所、祭神は神服織機殿鎮守御前神(かんはとりはたどののまもりのみまえのかみ)がご鎮座されている。
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二見めぐり(7社)
70 御塩殿神社
みしおどのじんじゃ
祭神は神宮御料の御塩の守り神、御塩殿鎮守神。向かって左が神社で、右の建物は御塩殿。神社後方の松林に御塩焼所と御塩汲入所がある。五十鈴川右岸の御塩浜で採取(毎年夏土用の頃に入浜式で行われる)した濃い塩水から、御料の御塩(堅塩)が奉製される。毎年3月と10月に焼き固めて堅塩(かたしお)が作られる。
71 堅田神社
かただじんじゃ
祭神はこの地方の土地の神、佐見都日女命。倭姫命に堅塩(かたしお・焼き固めた塩)を奉った故事により定められた。
72 江神社
えじんじゃ
祭神はこの地方の土地の神にして五穀守護の三柱の神、長口女命と大歳御祖命と宇加乃御玉命。俗に「蒔絵(巻江)の明神」とも称される。五十鈴川の河口で入江になっているところからの社名である。
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神前神社
こうざきじんじゃ
許母利神社
こもりじんじゃ
荒前神社
あらさきじんじゃ
祭神はこの地方の土地の神、荒前比賣命。100m近い山頂に鎮座し、樹間を通して眼下は一面の伊勢湾である。末社の許母利神社(こもりじんじゃ)祭神は粟嶋神御魂(あわしまのかみのみたま)と荒前神社(あらさきじんじゃ)祭神は荒前比賣命(あらさきひめのみこと)がご同座されている。
76 粟皇子神社
あわみこじんじゃ
祭神は海岸鎮護の神と伝えられる、須佐乃乎命御玉道主命。別名、淡海子神(あわみこのかみ)。池の浦の西岸の岬に鎮座し、白砂青松の海岸から飛島が望まれる美しい景観の社域である。倭姫命に御贄(みにえ・神様にお供えする神饌)を奉った故事により定められた
五十鈴川めぐり(16社)
77 加努弥神社
かぬみじんじゃ
祭神は五穀の守護神、稲依比女命。石畳の上に石神としてまつられる。耕地整理が行われる前までは、この辺りに五十鈴川の流れがあり、記念碑の近くに舟着場があったといわれている。
78 鏡宮神社
かがみのみやじんじゃ
祭神は朝熊神社の御前神、岩上二面神鏡霊で御鏡を鎮祭する。域内の右手奥(東北)に大きな岩があり、この岩の上に二面の神鏡がまつられていたと伝えられる。木柵を設け神聖視されている。五十鈴川と朝熊川の合流点の三角州にあり、三方を川に囲まれた風光明媚な神社である。
79 朝熊神社
あさくまじんじゃ
祭神はこの土地を守る神で五穀と水の神の三柱、大歳神と苔虫神と朝熊水神。各祭典とも必ず神職が参向して奉仕される。朝熊御前神社と相並び、向かって右の神社。まずこの神社を参拝する。
80 朝熊御前神社
あさくまみまえじんじゃ
祭神は朝熊御前神。社名の通り、朝熊神社を本社とする御前にある付属の神社。向かって左(西)の神社で、朝熊神社に続いて参拝する。朝熊は浅隅であり、隅は水の曲がり入った所という意で、浅い川の流れが曲がり入った五十鈴川の入江が、村口まで迫っていたのである。
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大土御祖神社
おおつちみおやじんじゃ
宇治乃奴鬼神社
うじのぬきじんじゃ
祭神は神田のある土地を守る神、大国玉命と二柱の水の神、水佐佐良比古命と水佐佐良比賣命。毎年5月中旬の神田御田植初の折に、奉仕者により社前で田舞が奉納される。末社の宇治乃奴鬼神社(うじのぬきじんじゃ)祭神は高水上命(たかみなかみのみこと)がご同座されている。奥の神社は国津御祖神社である。 大水上神の御子。灌漑用水の守護神。
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国津御祖神社
くにつみおやじんじゃ
葦立弖神社
あしだてじんじゃ
祭神はこの土地の産土神(うぶすなのかみ)二柱、宇治比賣命(うじひめのみこと)と田村比賣命(たむらひめのみこと)。末社の葦立弖神社(あしだてじんじゃ)祭神は玉移良比女命(たまやらひめのみこと)がご同座されている。手前の神社は大土御祖神社である。宇治都比女命(うじつひめのみこと)の御子。この地方の産土神と伝えられる。
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宇治山田神社
うじようだじんじゃ
那自賣神社
なじめじんじゃ
祭神は水の神、山田姫命。ご鎮座地の丘陵は「興玉森(おきたまのもり)」と呼ばれている。末社の那自賣神社(なじめじんじゃ)祭神は大水上御祖命(おおみなかみのみおやのみこと)と御裳乃須蘇比賣命(みものすそひめのみこと)がご同座されている。 五十鈴川の川水の守り神と伝えられる。
87 葭原神社
あしはらじんじゃ
祭神は田畑を守護する三柱の神、佐佐津比古命と宇加乃御玉御祖命と伊加利比賣命。その昔、この辺りが五十鈴川の葭(葦)原であったことが、社名からうかがえる。
88 月読宮
つきよみのみや
祭神は天照大御神の御弟神、月読尊。向かって右から2番目のお宮で、四宮のうちの主宮であり、まずこのお宮を参拝する。豊受大神宮別宮の月夜見宮と御同神をおまつりするが、月読宮と書いて区別している。月の神とも称され、水利農業の神として信仰が寄せられている。
89 月読荒御魂宮
つきよみのあらみ
たまのみや
祭神は月読尊(つきよみのみこと)の荒御魂(あらみたま)。皇大神宮と荒祭宮にならったものと思われる。向かって一番右のお宮で、月読宮に続いて参拝する。
90 伊佐奈岐宮
いざなぎのみや
祭神は天照大御神の御父神、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)。向かって左から2番目のお宮で、月読荒御魂宮に続いて参拝する。
91 伊佐奈弥宮
いざなみのみや
祭神は天照大御神の御母神、伊弉冉尊)。向かって1番左のお宮で、伊佐奈岐宮に続いて参拝する。
92 倭姫宮
やまとひめのみや
祭神は天照大御神の御杖代(みつえしろ)となって、皇大神宮ご創建のご功績のあった第十一代垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)。倭姫命は諸々の祭典、摂末社や御料などを定められた。神宮や地元の人々の宮社創立の熱望が実を結び、大正12年(1923)11月5日ご鎮座祭がおごそかに行われた。
大湊・神社めぐり(5社)
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河原神社
かわらじんじゃ
毛理神社
もりじんじゃ
祭神は田地守護の神で宮川下流の守り神、川神(かわのかみ)。末社の毛理神社(もりじんじゃ)祭神は木神(きのかみ)がご同座されている。
95 志宝屋神社
しおやじんじゃ
祭神は塩業、海路守護の神、塩土老翁(しおつちのおじ)。地元では塩屋明神といい、この杜を「鵜の森」と呼んでいる。伊勢湾に臨む宮川の河口にあって、この地に製塩業の盛んであったことは容易に想像される。
96 御食神社
みけじんじゃ
祭神は神社(かみやしろ)の港口から御料を調進する御饌(みけ)の神、水戸御饗都神。水戸は水の入り込んでいる港のこと。地元の産土神として奉祀され、他の神宮摂社末社とは社頭の趣は少し異なる。域内に「辰の井」という井戸があり、この水が倭姫命に奉った御水と伝えられる。また火災除けの信仰があつい神社でもある。
97 河原淵神社
かわらぶちじんじゃ
祭神は水の神、澤姫命。神社の前の池は、宮川の分流の名残りを示す朧ヶ池(おぼろがいけ)である。奥の神社は、産土神をまつる地元の神社・船江上社である。
宮川めぐり(3社)
98 久具都比賣神社
くぐつひめじんじゃ
祭神はこの土地の守り神として、水の神・五穀の神三座、久具都比女命と久具都比古命と御前神。社地の北側と西側は宮川の清流にのぞみ、往古には渡し場があり、そこを経て参拝がされた。享保甲辰(1724)に紀州藩が建てた禁殺生石がある。
99 園相神社
そないじんじゃ
祭神はこの地の園作(そのつくり)の神、曽奈比比古命と御前神の二座。倭姫命に御園の地を奉った故事により定められた。地元では「白木さん」と呼ばれ、あつい信仰がある。社頭入口に紀州藩の建てた「禁殺生(享保甲辰・1724)」の石柱がある。
100 川原神社
かわらじんじゃ
祭神は宮川の守護神と伝えられる、月読尊御魂。社名から往古は宮川の川原で、沢地(現在の地名を佐八という)であったことがうかがえる。月は水の干満に関係あるところから、多く川の神、水の神として信仰を受けられている。
小俣めぐり(10社)
101 打懸神社
うちかけじんじゃ
祭神は宮川堤防の守護神、打懸名神(うちかけみょうじん)。社域に入いり、向かって右の神社で、左の御垣内には志等美神社と大河内神社がご鎮座されている。神宮摂末社の中で神位を贈られているのは、これら3社のみである。
102
103
志等美神社
しとみじんじゃ
大河内神社
おおこうちじんじゃ
祭神は木の神で宮川堤防の守護神、久久能智神。御垣内の向かって右は大河内神社である。社域に入いり、向かって右の独立した御垣内に打懸神社がご鎮座されている。奥の神社は、産土神をまつる地元の神社・上社である。祭神は宮川堤防の守護神、大山祗神。向かって左の志等美神社の御垣内にご鎮座。社域に入いり、向かって右の独立した御垣内に打懸神社がご鎮座されている。
104 草奈伎神社
くさなぎじんじゃ
祭神は剣の御霊、御剣仗神。各祭典とも必ず神職が参向して奉仕されることは、皇大神宮における朝熊神社と同じである。社域に入いり、向かって右の神社は大間国生神社である。神社西側の道路、JR山田上口駅前から続く楠の並木は、昭和34年(1959)北朝鮮に集団帰国した方々が記念に植樹したものである。
105 大間国生神社
おおまくなりじんじゃ
乙若子命(おとわかこのみこと)。祭神はこの地方(今もこのあたりを大間広という)の国土生成の神二座、大若子命(おおわかこのみこと)と乙若子命(おとわかこのみこと)。皇大神宮ご鎮座に大功があった神々で、度会氏の祖である。御垣内の向かって右が大間社(祭神・大若子命)で、左が国生社(祭神・乙若子命)といわれている。社域に入いり、向かって左(西)の神社は草奈伎神社である。
106 清野井庭神社
きよのいばじんじゃ
祭神は屋船神のご分霊と伝えられる、草野姫命。このあたりは古くは清野という原野で、その井庭(田畑に水を引き入れるためのセキ)の神をまつったのが、この神社の起りといわれている。
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宇須乃野神社
うすののじんじゃ
縣神社
あがたじんじゃ
五穀の守り神 。
109 小俣神社
おばたじんじゃ
祭神は田野の五穀豊穣の神と伝えられる、宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)。地元では稲嘗(いなめ)さんと称し尊信されている。宮川の外(西)にある唯一の豊受大神宮の摂社である。向かって右に地元の八柱神社がある。小俣神社(おばたじんじゃ)。
110 湯田神社
ゆたじんじゃ
祭神はこの土地の農耕守護の神、大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと)と御前神(みまえのかみ)の二座。地名の湯田は斎田(ゆた)という意味で、皇大神宮神主の荒木田氏によって開墾された土地である。
田丸めぐり(5社)
111 狭田国生神社
さたくなりじんじゃ
祭神は川の神二柱、速川比古命(はやかわひこのみこと)と速川比女命(はやかわひめのみこと)と土地の守り神、山末御魂(やまずえのみたま)。狭田とは川の支流に挟まれた細長い田のことである。社頭入口に紀州藩の建てた「禁殺生(享保甲辰・1724)」の石柱がある。紀州藩領内の摂末社に建てられたようである。
112 小社神社
おごそじんじゃ
祭神はこの土地の神で灌漑用水の神と伝えられる、高水上命。皇大神宮神主の荒木田氏が開拓した当時、産土神として尊んだ神である。この地方では「雨の宮」と呼んで、ひでりの折には雨乞祈願をしたといわれる。天保3年(1832)と刻まれた水盤が置かれている。
113 奈良波良神社
ならはらじんじゃ
祭神はこの地方の田野の守護神と伝えられる、那良原比女命。社名からこのあたりが楢(なら)の木の原野であったことがうかがえる。享保甲辰(1724)に紀州藩が建てた禁殺生石がある。
114 鴨下神社
かもしもじんじゃ
祭神は水利灌漑をつかさどる三柱の神と伝えられる、石己呂和居命と鴨比古命と鴨比賣命。鴨神社ご鎮座の山の裾の方であるため、鴨下神社と称されている。
115 坂手国生神社
さかてくなりじんじゃ
祭神はこの地方の灌漑用の水を守る神、高水上神。この神社は潮尾崎(うしおざき)の池と道をはさむ、小高い丘に坂のあたりにあり、社名の由来といわれる。
外城田めぐり(10社)
116 棒原神社
すぎはらじんじゃ
祭神は星の出具合いによって農耕を占うと伝えられている神、天須婆留女命御魂(あめのすばるめのみことのみたま)と御前神(みまえのかみ)の二座。この神社は丘陵の上にご鎮座されているが、地元ではこの丘のことを「杉の森」と呼んでいる。
117
118
蚊野神社
かのじんじゃ
蚊野御前神社
かのみまえじんじゃ
祭神はこの地方の開拓守護神として田野をうるおす灌漑用水の神、大神御蔭川神。摂社の蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ)祭神は大神御蔭川御前神(おおかみのみかげかわのみまえのかみ)がご同座されている。蚊野の松並木に昔の熊野西国街道の名残りを偲ぶことができる。
119
120
田乃家神社
たのえじんじゃ
田乃家御前神社
たのえみまえじんじゃ
祭神は農家の守り神と伝えられる、大神御滄川神。田乃家というのは田の戸、すなわち御田を耕作する民戸のことである。摂社の田乃家御前神社(たのえみまえじんじゃ)祭神は大神御滄川御前神(おおかみのみさむかわのみまえのかみ)がご同座されている。紀州藩が享保甲辰(1724)に建てた禁殺生石があり、天保13年(1842)銘の水盤も置かれている。
121 鴨神社
かもじんじゃ
祭神は農耕灌漑の守護神、石己呂和居命(いしころわけのみこと)と御前神(みまえのかみ)の二座と伝えられる。山の中腹(約2kmの坂道)にあり、歩いてしか参拝できない。眼下に伊勢の平野を見下ろし、遙かに伊勢湾を眺め得られる光景に、山歩きの疲れもいやされる。この神社の奥(東上)に岩窟がある。清泉が湧出し、ひでりの折でもかれたことがないといわれる。地元では「鴨の谷様」と称している。
122 津布良神社
つぶらじんじゃ
祭神はこの土地の守護神で田野の水の神二柱、社域は苔なめらかなりの形容そのままで、文化12年(1815)在銘の水盤も趣き深く見える。斎宮忌詞に墳墓を土群(つむら)と称しており、この辺りを開拓した荒木田氏祖先の古墳も少なくなく、古墳の多い地帯という意味で使われたようである。
123 朽羅神社
くちらじんじゃ
祭神は田野の農耕神二柱と伝えられる、千依比賣命(ちよりひめのみこと)と千依比古命(ちよりひこのみこと)。田畑の中の大きな森にあり、地元では「宮田森」と呼んでいる。社頭には天保3年(1832)の常夜燈が建てられている。
124
125
御船神社
みふねじんじゃ
牟弥乃神社
むみのじんじゃ
祭神は船路交通の守り神と伝えられる、大神御蔭川神。このあたりが外城田川(ときだがわ)の終点地であり、倭姫命がさかのぼられたとき、御船をとどめられたといわれる。末社の牟弥乃神社(むみのじんじゃ)祭神は寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)がご同座されている。社頭には天保14年(1843)と刻まれた常夜燈や、文政6年(1823)の石階等が残されている。大水上神に御子。川の守り神として伝わる。

テレビで伊勢神宮には、なんと全部で125の神社があると言ってました
125社 ⇒ 125cc??これは原付二種で行く宿命か?
なので2008年は伊勢神宮の125社めぐりに挑戦です


注)ナンバーリングは、私がめぐった順番です

期間:08年9月27日から08年11月22日
距離:1,501Km
伊勢神宮の125社を全てめぐりました
感激のあまり最後の御船神社ではセルフポートレートでVサイン(笑)
これで気分良く年を越せそうです(ホッ)
しかし、神前神社と鴨神社は一生の思い出となりそうです(苦笑)

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